他人を幸福にしろ

 自分の幸せには限界がある。自分という存在は無数に存在しているわけではない。自分は何億といる人類の中でただ一人の人間なのだ。だから、自分だけ満たしても、何十億分の一しか満たすことができないのである。幸福とは自分のお腹だと思えばいい。人それぞれ食事の摂取できる分量は決まっている。多く食する人がいるように、少量しか口にくわえることができない人もいる。つまり、世の中には沢山幸せを感じることができる人もいるし、そうではない人もいるということである。それゆえ、自分はこの世の中の調理人だと認識しなければいけない。無数に存在する種類の胃袋を、自分は満たさなくてはいけないのだ。
 他人という存在が一番大事なのである。人は自分自身が一番かわいいと思う人がいるかもしれない。しかしながら、自分だけかわいがったとしても、世の中に自分をかわいがってくれる人がいなければ、かわいいとすら思うことはできないだろう。なぜならば、他人がこの世にいないのだから。自分だけの世界は成立しないのである。もし、そんな世界に生きていたとしたら、自分がいかに無力で、何もできないと感ずるであろう。例えば、昼食をコンビニで買う行為、それは他人がいるからその行為が成り立つのである。従って、私たちは、実は、他人に頼り切っているのである。従って、他人をよりよくするために行動すれば、それは間接的に自分を改善することでもあるのだ。
 人からの見返りなんていうものはない。自分にさえ、見返りは求めたってどうしようもない。自分はなぜ、こんなことをしているのだろうかと思う必要などない。例えば、自宅の洗濯機が壊れたので、それを買わざるを得ない。ここで、なぜ、私、あるいは俺はこの洗濯機に金かけているのと思うかもしれない。実際に、それは必要だから買っているのである。必要だから何か行動しているのである。あるいは、自分が食事を取って、食いすぎたと後悔することがあるかもしれない。しかしながら、その食事はその時の自分にとっては不可欠だったのである。必然に見返りなど求めないであろう。食事の摂取、それを拒否するなんてことは誰もしない。
 人に機会を与えるのだ。自分が人助けをするために取った、その行為はすべて人のためになっているのである。他方で、意図的に誰かの行為を奪ってしまったら、それは人のためにはならない。人に活躍の場を提供するのだ。私たちは何もできない人を把握することはできないのだ。もし、それができたとしたら、それは全知全能の人類に他ならない。私たちは私たちの目の前の人に、新たな機会を与えるのだ。ごはんを食べる機会でも良い、買い物に行く機会でも良い。それは人それぞれだ。
 結論として、人間には限界があるのだ。自分の幸せばかり求めるということは自分の幸せにはつながらない。なぜならば、自己中心的な世界に陥ってしまえば、他人がいなくなってしまうからである。自分の幸せは他人によって成り立っているのでる。ゆえに、いかに多くの他人で自分の人生を豊かにするのかが重要である。だから、何か人に尽くして、見返りがないと考える必要はない。もうすでに、何か人のために、そのひとを助けるために取った行動は、その人を満たしているのだから。自分が他者を関わる関係は成立しているのだから。重要なのは、一人だけを満たすのではなくて、できるだけ多くの人を満たす必要があるのだ。だから、自分にとって一番大切な人みたいな人を作って、その人だけを溺愛してしまえば、それもそれで、自分を苦しめることになる。

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