好きなことをするには

 人間は誰しも好きなことをしたい。自分の好きな映画を見たり、好きな音楽を聴いたりしたい。しかしながら、その好きなことは世間に認められて初めて、実現することができる。例えば、映画を見るためには金を払う必要がある。従って、どこかでお金を集めなければいけないのだ。それこそ映画をずっと見ていたり、音楽をずっと聴いたりしていても、お金を集めることはできない。何かしらの社会に認めらた方法でお金を稼がなければ望むままには生きられない。
 私たちは世間にとって需要のあることを請け負わなければいけないのだ。自分のやりたいことが世間の需要と迎合していれば、それは良い。逆に、自分のしたいことが世間と合致しなかったとしても、世間に従わざるをえない。それゆえ、誰しもが世間に認められる行為をしなければいけないのである。なので、この過程にまずは注目する必要がある。
 世間からの承認の先には自由が待っている。私たちはよく好きなことができなくていら立つ。なぜ、これをしなければならないのか。なぜこんな無駄なことをしなければならないのか。もっと好き勝手、我流でやりたいと思うかもしれない。しかしながら、その煩わしいと思われる行為の先には自由自在がある。例えば、自分がサッカーをひたすらやり続け、練習したくないと思う。それでもなおサッカーを続け、気が付けば世界一位になっていた。そうすると、自分は好きなチームに加盟することができる。自分の好きな趣味に没頭することができる。このように、何かしらの専門的なスキルを手に入れられれば、ある程度自由はかなうのである。だから、是認されることと、恣意的な行為は密接に関係しているのである。
 お金に限らず、人間関係だって同じだ。ある一人の人物に認められて、自分が友人だと認められる。すると、その友人と一緒にいるとき自分が好き勝手、例えばこのお店行きたいと言うこと、もある程度認められる。彼氏彼女だって同様である。自分の好きな人に認めてもらえば、自分のわがままが通用する。自分の勝手を増やし続けるためには、多くの人に好かれる必要があるのだ。
 多くの人に認められればいい。つまるところ、自分のしたいこと、したくないことでも需要があればやり続け、ふとした瞬間に自分の好きなことをやればいいのだ。その過程は困難を要するかもしれない。しかし、次第にそれに慣れてゆき、気が付けば大勢の人に自分は気に入られる存在になっているだろう。その時には、もしかしたら、好きなことをやるだけで生きていけるかもしれない。

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